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自分の表現ができるもの同士は認め合える

ボイストレーナーの浜渦です。
好き勝手書かせていただきます…
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なんに於いても自分の表現ができる者同士はルールがなくても分かり合える。
歌で言えばブレスの位置やリズムの感じ方すら違っても素晴らしいハーモニーになる。
バラバラのようでいて、なぜか溶け合うのだ。

さらにそんな者同士が表現を提案し合えば、もっとすばらしくなる。
それが本来のセッションというやつだ。
それができないひとほど、卒業式の「(せーのっ!)楽しかった、修学旅行!!」な音楽になる。

つまりできない人ほど、つまりは自分の確固たる表現がないひと(表現したいものがあるだけではだめ)ほど、他人をルールやマナーに当てはめたがるようになるわけだ。

音楽に限った話ではない。
違う主義やイデオロギーを持ったもの同士の話にも置き換えても同じことだ。
周りを見てどうだろう。
全体主義が自由な表現を嫌う理由がここにある。
自由表現は違う主義や宗教を持つもの同士が理解はできなくとも認め合いつつ、個々が自由なのだ。
全体主義の対極である。

しかし、表現とは、リアルな人間同士のぶつかり合いがあってこそ。
それがネット社会でますます崩壊してきている。
無理に合わせるどころか、楽しかったのは「修学旅行派」か「給食の時間派」かで対立するような有様で、さらに、それを煽り、利用するような勢力も多い。
これはやはり生の相手の表現に触れないからだと思っている。

私の夢は、自分の仕事で、そんな表現力を世の中に伝え、すこしでも人々がイデオロギーや宗教、人種を超えて理解できなくとも認め合える世の中の一助となることだ。
そして…

「楽しかった…?」

「俺は修学旅行かな?」
「俺は風邪で行かれへんかってん!」
わははは!
「どう考えても運動会やろ」
「楽しいことなんかなかった…」

…ま、何はともあれ、自由にやれたよな!

そんな世の中にしたいものだ。
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