FC2ブログ

日本人は本当に真面目なのだろうか

久しぶりに好きなことを言わせてください…
以前から疑問に思っていたことについて。


日本人は果たして真面目なんだろうか?
それが面白いこと、遊びに対する真面目ならともかく、真面目であることでリスクを回避してはいないだろうか?

面白いといっても、刹那な快楽や面白おかしいということではない。
自分の感性が動かされる方向に一生懸命やるということに対して真面目であるかということ。
それこそは人間にとってもっとも大切なことの一つだと思うのです。
しかし、それは本当には怖いことで、ともすると社会からはみ出てしまいかねないリスクを負うことにもつながる…。
だからそのリスクや恐怖を回避して、当たり障りのないことを一生懸命やる。
人に言われたことだけを黙々とやる…。
歯車として…
もちろん、そのことは個人の選択なのでとやかく言う筋合いにはない。
歯車は必要だ。
みんながある種、社会の歯車であるべきとも思う。

しかし、そこに感性がなければその真面目さとは一体なんなんだろうか。
歯車であっても、誰かに動かされている末端ではなく、時には自分が何かを伝える原動力となるべきではないのか?
それは空回りの危険がある。
やはり回避したくなる。

繰り返すが真面目は悪いことではない。
しかし、感性のない真面目さえまるで素晴らしいこと。
その真面目さが偉いことのような風潮に違和感を感じるのです。
それでは、機械化が進み、AI化が進むと真っ先に必要がなくなってしまうのではないか?

私の感覚としては、
感性と努力が一体となって初めて本当の真面目ではないかと思う。

自分を殺して真面目…
もしそうでも真面目は真面目というのなら、
それは真面目ではあっても人生に対しては不遜ではないのか?

真面目に誰かのおこぼれに預かっていないか、真面目に組織にタダ乗りしてはいないか?

そんな感覚が支配すると、音楽や美術は後回し…となる。
いや、実際なりつつある。

生き残り戦争も今はどんどんひどくなっているように思う。
実際かつての受験戦争より、今の方がひどいと思うのだ。
かつての受験戦争は学歴社会から落ちこぼれるのを嫌ったが、いまや、社会そのものから落ちこぼれることが恐怖となってはいまいか?
それが「より下を見て満足したり、叩いては清々したり」ということに繋がってはいないか?
その不安を煽られれば煽られるほど、何か強いもの、自分を無条件に認めてくれるものに取り込まれていく。
まさに陰湿だ。
今の時代がまさにそうだと感じる。

いまや死語となった「ヒューマニズム精神」よ、今一度。


好きに書いたらですます調になったりひどい文章ですが、あえてこのままです。
不快な思いにさせたらごめんなさいね。
Hiroshi Hamauzu
Posted byHiroshi Hamauzu

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply